心がほぐれる3つのコツ、優しい技術を身につけよう

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物事が上手くいくかどうかは、コツをつかんでいるかどうかで随分と違ってきます。そのコツとは、例えば計算が速いことや、調べるのが上手いことではありません。「ゆるめる」、「まかせる」、「待つ」、この3つのことです。

今回ご紹介するのは、日常に疲れたときに覚えておきたい、落ち着く言葉や基本的な習慣です。自分に対してだけではなく、夫や恋人などの身近な相手をねぎらうときや、目下の人や子どもに行動を促すときにも、きっとおまじないになると思います。

ゆるめる

ゆるめるというのは、動くことから休みことに切り替えるときの波のようなものです。それは言葉で言い表すことができます。「お疲れさま」や「ご苦労さま」の一言で肩の荷がほっと下りたり、「ありがとう」の一言で疲れが吹き飛んだりします。人はこの瞬間から心身共に「ゆるめる」ことができます。

ねぎらいの意義

「ありがとう」と言われることは、とてもうれしいものです。それは誰もが誰かのためになることを求めて、そのために働くことを求めているからです。「利他の奉仕」という言葉がありますが、これは何ら特別なことではなく、ごく当たり前に存在する自然派の行為なのです。

人間の本能的な奉仕の働きにスポットライトを当てて、「ありがとう」や「お疲れさま」と一声かける習慣は、ゆるめるためにはとても大切なことです。つまり、自分や相手の心身にねぎらいの言葉をかけてあげるのです。

なぜ身近な相手に優しくできないのか

身内ほど、自分のために働いてくれて当然だと思いやすいのですが、身近な人ほど細やかな心遣いが必要です。

悪いところを見つけて指摘したり、けなしたりするのは簡単なことで、尚かつ乱暴で、雑なことです。おそらく、良いところに気づいて表現するためには、あたたかく繊細な心遣いだけではなく、けなすことの何倍もの注意深さが必要になるからではないでしょうか。

ねぎらう際のポイント

人間が疲れたときにマッサージをしたり、体を温めたりするのは、働きがあった部分にしないと効果はありません。働いた部分や疲れた部分を見つけることによって、疲れをスーッと抜き、深い休息へと導くコツなのです。

何でもかんでもほぐせば良い、いつでもとりあえず褒めたら良いという考えで、当てずっぽうにすることとは違います。相手をねぎらいゆるめるためには、まずは自分の心身に「よく頑張った」や「お疲れさま」などと言って、自分が喜ぶことをしてあげましょう。

まかせる

任せることは、休むことから動くことに切り替えるときの波のようなものです。自他共に能力を発揮していく過程で大切なことは、疑いではなく信頼です。「できるかなあ」と不安に思うことが疑いであり、「やってみてごらん」と促すことが信頼です。

楽観性と自由な心

「やってみてごらん」という言葉の中には、「できても、できなくてもどっちでもいいよ」という自由な真意があり、さらにその奥には「きっとできる」という明るい空想があります。

「できなくてはいけない」という思いから、「できるかなあ」という不安が起こります。そのため「絶対にできる」と強く唱え続けるほど、かえって不安が強調されやすくなるのです。これは人本来の心の構造であり、体の働きの仕組みでもあります。つまり頭の意識だけではなく、潜在意識の中に色濃く残ったものが我々の心を動かして、体を動かすのです。

任せ方と任され方

心身に備わった能力を余すことなく発揮していくためには、まず最初に自分と相手を信頼して、任せることが大切です。不安を強調すれば働きは鈍り、明るく自由なモチベーションが心身の働きを高めていきます。

自分で思っている以上に大きな能力が、自分や相手に備わっていることを認めて、「やってみてごらん」と任せていきます。そこに伸びていこうとする働きが、自ずと起こるのです。その意識さえあれば、体はちゃんと信頼に応えてくれます。

待つ

待つというのは、いわば「……」のような状態のことで、自然の働きを乱さないことです。心身をゆるめること、自分と相手を信頼して任せること、そして「待つ」こと。これらの中で最も大切かつ難しいのが、実は待つことなのです。待つことは、決して「何もしないこと」ではありません。

「待つ」の意味

「果報は寝て待て」、「急いでは事を仕損じる」などの表現があります。これらはつまり「ゆっくり対応すれば良い」ということであるのに、「何もしないで待っていればいずれ幸福が訪れる」と誤った捉え方を私たちはしてしまいがちです。

では、この「待つ」ということを別の言い方で表現するなら、「自然の働きを乱さないということを、絶えまなく続けること」です。待っている間にも、川の流れのような自然の働きを、淀まないように、枯れないように、またあふれ過ぎないように、よく気を配っているのです。

女性の視点

「待つ」ことについて、妊婦さんのことを考えてみるとわかりやすいと思います。

どんなに気を張っていても、妊娠してから生まれてくるまではおよそ10ヶ月費やします。こちらがどれほど急いだところで、子どもが生まれてくるタイミングをひたすら待つより他はありません。それを半年や2ヶ月で生まれてくるようにあれこれ手を尽くしているとしたらおかしいのです。生まれてくるタイミングを待ち、その間細やかな心身のケアを心がけて、母体が欲することを本能の働きとして尊重していくのです。

つまりは、「待つ」ことの反対が「やりすぎる」ことなのですが、やりすぎの害には注意が必要です。

良いことにも「さじ加減」が必要

悪いことのやりすぎは、大抵の人は限界がくるまでに自分でブレーキをかけるので、あまり心配する必要はありません。むしろ、良いと思っていることをやりすぎる方が、残念なことに実害が多いのです。

風邪などの病気をしてしまったときに、その病が回復していく自然の経過を見ずに、慌ててあれこれ手を出すと、かえって病気が長引いたり、別の病気の原因をこしらえてしまうことがあります。

風邪をひいたときに「温めたら良い」、火傷をしたときに「冷やしたら良い」などと聞くと、いつまでもずーっと温めたり冷やしたりしてしまいます。ところが温めすぎるとその反作用で冷えたり、冷やすぎることはそもそも体に毒です。そのため、やりすぎは体に害を与えます。

むやみに、できるだけたくさん、あれもこれも、もっと速く、というのは、もはや命の働きを縮めているようなものです。必要なタイミングに、必要なことを必要なだけする。これが、全力を発揮していることの本来の意味です。手を出す必要のないときには、待つということが最良の一手となります。

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