我々は生きているのですから、当然年をとっていくことは避けられません。しかし、女性は年を重ねていくことに関して、皆、おそれをともなったある課題を抱えています。それは、「おばさん」になるかどうか。
気づいたら、見知らぬ子どもから、無邪気に「おばちゃん」と呼ばれてしまった。ショックを受けつつも、自分がそんな年齢になっていることを改めて思い知る。
子供は、自分の母親と同世代の女性に向かって、器用に「おばさん」「お姉さん」と呼び分けるようなことはしません。つまりは偏見を持たない無邪気な子供から「おばちゃん」と呼ばれたことは、あらがいようのない真実です。
ここでは、自分がおばさんになっていく事実について、おばさんと女性との違いを踏まえ、おばさんというものがどうやってできあがるのかを見ていくことで、自分のオバサン化とどう向き合うのか考えてみたいと思います。
おばさんの定義は、大小さまざまいろいろあります。
などなど具体的に挙げだしたらキリがありません。しかし、「おばさん」の定義の根本は、「子供を生み育てている途中、もしくは育て終わったくらいの世代で、異性からの視線がどうでもよくなっている女性」だと言ってもいいでしょう。
なぜなら「異性からの視線がどうでもよくなっている」ことが、スタイルのずんどうさを呼び、周りを気にせず大声でしゃべる、男子トイレに平気で入れる、などの行動のおおもとであるからです。
いわば、「おばさん」とは自分の中の「女」を捨てた、男でもなく女でもない性を超越した存在ともいえるのです。
おばさんには時間がたっぷりあります。おばさんの時間の過ごし方にまつわるイメージとしては…
例えば、1円でも安いものをもとめてスーパーをハシゴするなどは、時間に追われるキャリアウーマンなら、やりたくても到底できないことです。そんなことに時間を費やすくらいなら、働いた方がよっぽど金銭的なプラスを生みます。
おばさんに時間があるということと、おばさんの特性は結びつきます。おばさんと呼ばれる行動には、「暇」であるということが影に隠れているようです。
おばさんファッションは以下のように二極化します。
・過度な厚化粧、派手な柄モノの洋服に走る派
・どこへいくにもノーメイク、子供が使い終えた体操服を着て外出できるくらい洋服に無頓着なツワモノ派
後者については、完全に「異性からの視線がどうでもよくなっている」ことを具現化したものでしょう。では、前者はどうなのでしょうか。実は前者についても、「異性からの視線がどうでもよくなっている」のあらわれなのです。
はたして男性というものは、厚化粧が好きで、派手な洋服の女性が好きなのでしょうか。ほとんどの男性は、ナチュラルメイクやすっぴんを好み、洋服も清楚で上品なものを好むのが実情ではないでしょうか。
ではなぜおばさんたちは厚化粧に走り、派手な柄モノの洋服を着るのか。前者のおばさんたちの意識は同性であるおばさんへ向いています。おばさん同士の競争の激化としての厚化粧であり、派手な柄モノの洋服なのです。
女性は、結婚するまでは、「女」としての自分の価値を維持し高めていかなければなりません。若くしておばさんっぽいと男性から烙印を押されてしまった女性は「お前は眼中にない」と言われてしまったのと同じです。
女性たちは、自分は女であり、かつ女としての価値があることをアピールし、男性に選んでもらわなければなりません。なので結婚するまでは、女性が「女」である自分を意識し、アピールするという行為はメリットのあることなのです。
女性らしさを維持するのはいろいろと労力も費用もかかりますよね。おばさんの外見的な特徴が、ずんどうなスタイルだったり、肌のしわやしみたるみ、髪のつやのなさなどだとします。
しかし、これらは、加齢によって当然起こること。新陳代謝の悪い体は、油断するとすぐに脂肪がつきます。年齢を重ねれば、しわやしわもできますし、重力によるたるみも当然出てきます。
だとするなら、女性らしさを維持するためには、ジムに通って運動したり、エステに行ったり、美容に気をつけたりして、労力やコストをかけなくては女性らしさが保てません。自然のままにまかせていると、おばさんの特徴とされる身体になっていくのです。
つまり、外見上おばさんにならないようにするのには、まずは「体型をスリムにし、肌や髪の毛の手入れをし続ける!」と、本人が決めなくてはどうしようもないことなのです。
おばさんの定義を、「異性からの視線がどうでもよくなっている女性」としました。すなわち、おばさんは、一番身近にいる異性である夫からの視線を気にしていない、もしくは夫を異性と認識していないということとなります。
では、なぜ妻は夫を異性とみなさなくなるのでしょうか。
結婚というシステムにも原因があります。恋愛関係の頃は、お互いを選び続けるという明確な契約があるわけではないので、男性にしても女性にしても相手から選んでもらえるように異性としての魅力を維持もしくは増強し続けなければなりません。
男性も、自分のかっこよさを維持したり、女性に「きれいだね」「かわいいよ」などと声をかけ、プレゼントを贈るなりしてアピールし続けます。
しかし、いったん結婚をしてしまえば、もう相手に選んでもらったわけですから、異性としての魅力を磨く根拠がなくなってしまうわけです。
おばさん化のターニングポイントのひとつは出産です。世の中で一番大切な人は夫!という女性も、子供が生まれたとたんそんな気持ちはふきとびます。
一瞬にして一番大切なものは子どもとなり、夫は2番か3番か(4番5番か…子どもの数だけ夫は順位を転落させていきます。)に転落します。
いくら夫が妻を女性として扱っていても、育児に一心不乱になっている女性にとっては、それすらもうっとうしくてたまらないのです。一方、夫の側といえば、妻ほどに鮮やかに親スイッチが入るわけではありません。
とはいえ、子供を産んだ妻に対しては、それまでの妻とは違うものを感じます。自分が守ってあげなくてはならない存在だったはずなのに、子供を産んだとたん、妻がとてつもなく強く大きな存在に感じます。
子供を産んだ妻は神聖な母であり、そんな聖なる存在を性的な目でみるのも気が引けてしまうという人もいるでしょう。さらに、日本の男性は、妻を自分の母親だとみなす傾向があります。
妻は自分のお母さんのようにいろいろと身の回りの世話を焼いてくれる人であるという幻想を抱いているのです。夫から母親扱いされている女性は、夫に異性の魅力を見出し、女としての魅力をアップさせるという行為には入りにくいのです。
さらに、子供からの要請もあるかもしれません。子供は、母親が女の顔をのぞかせることを激しく嫌いますよね。母親になったということは、「女」であることを幾分かは捨てないとやってられないのです。
出産した女性が「女」でなくなっていくポイントは以下のとおりです。
先にふれたとおり、年齢を重ねた女性が女性として魅力を維持し、高めて「女」でいるためにはコストがかかります。コストをかけるということはそれなりのメリットがあるからであり、結婚前の女性にとっての女でいるメリットは、「選んでもらうこと」でした。
では、結婚してすでに選んでもらった女性が女でいるメリットはなんでしょうか。すでに選ばれているのですから夫以外の異性に対して女性として魅力を増すことは倫理上問題があるかもしれません。
となると夫に女性としての魅力を感じてもらって、優しくしてもらうということが残されたメリットとなります。しかし、上のポイントで述べたように、出産した女性は、夫のことを異性とすらみなさなくなります。夫も同様に妻を異性とみなさなくなっています。
このへんは卵が先か鶏が先か?という問題になってきます。夫に男性としての魅力がなくなったので、妻も女としても魅力を高めようとしないのか、妻が女性的魅力を失ったので、夫が男性的魅力を失っていくのか…。
もし、一緒に暮らす夫が異性としての魅力にあふれる人だとしたらどうでしょう。女性は、夫に気に入られようとせっせと女磨きをする確率が高いですよね。つまり、おばさんの定義である「異性からの視線がどうでもよくなっている女性」にはあてはまらなくなります。
とはいえ、夫が魅力ある異性であるときに、はらむ問題があります。それは「浮気」の可能性です。魅力ある異性を、他の女性たちがほおっておくことは考えにくいですよね。
結婚を穏やかなものにしたいのなら、自分もおばさんであり、夫もおじさんであるというところが、一番妥当なのかもしれないのです。恋愛時代は、彼がどこかにいってしまうようで不安だった女性も、結婚したことでほっとひと安心したかもしれません。
しかし、夫が魅力ある男性である限りは、例え結婚していたからといって心の安定はないかもしれません。
異性からの視線がどうでもよくなっている女性をおばさんとするのなら、それは「女」でいることにメリットを感じていないゆえの選択であるということがわかります。一方、おばさんでいることにもいいことはあります。
若いころは自分の自意識に苦しめられていたような人でも、おばさんと言われる年齢に到達することで自意識から解放されて楽になるということもあるでしょう。
自分がおばさんになるかどうか、とうことは、「おばさん」でいること、「女」でいることのメリットをどうとらえるかという問題になります。
おばさんではない女性は、おばさんになりたくないという恐怖を持つものですが、おばさんにならないためにも、自分が「女」でいるメリットについて熟考する必要があるようです。