つい、躾と称して子供に対して厳しくしてませんか?「優しい人になりなさい!」と強要されて、果たして優しい人に育つのでしょうか?なぜ駄目を言わない方がいいのか、その理由を詳しく知って子供と向き合ってみませんか?
子供が二歳から三歳ほどになると「あれもいや!」「これもいや!」と反発し、言うことを聞かなくなってきます。「うちの子はイヤイヤ期なんてなかったわ。手がかからないいい子だったの」などと安心してはいけません。
イヤイヤ期がないと逆に心配。「自発性が遅れてしまってる」ことが考えられますので、子供のコントロールをしすぎていないか、またはきちんと接して気持ちを受容してあげてる時間があるかどうか確認してみてください。
どうしても急いでいる時などは子供に「~して!」などと怒鳴ってしまいがち。ですが、その口調が強ければ強いほど子供は反発しませんか?自我を守り、コントロールされないように必死になっているのです。
そんな悪循環を続けないためにも、自分の子供を「自分とは別の人格」ということを意識して相手の境界を守って言葉を交わすことが大切です。
「誰かが困ってるから●●してあげようか…」、自分でそう考えて対処するという行為によって「自制心」「自尊心」が育ちます。
強制的に遊びを切り上げて帰っても、そこには我慢して帰るという恨みに近い気持ちしか残りません。自分で考えて行動をしてる訳ではないのです。
強制的に我慢して止めさせることと、自制を介して止めさせることの違いがおわかりでしょうか?実は「自他の境界が守られる」ということが特徴です。
どうしても親から行動を強制的に制限させられてきた人は他人に優しく出来ません。
また自分が親になったときも「境界が侵されてた」ことに気づかずに、自分の子供にも介入してコントロールしてしまいます。
子供は自発性が無くなり、「他人の事を考えて自ら行動を決める」訓練をせずに、強要ばかり受け入れてきたので他人の気持ちを理解しようという気にはなりません。
これでは優しさなどは育ちません。「優しくしなさい!」という言葉がどれほど矛盾してるかおわかりになりましたか?
当たり前のように育児書に書かれてるこの言葉ですが、意味が理解できてないとついつい使ってしまうものです。この駄目という言葉ですが、大人は一時的に使ってると思っていても、子供の脳には一生をかけて行動に制限をかけてしまうほど重要なことです。
というのは人間は危機対策をするために危険に関する情報を幼いうちから脳に蓄えていきます。それらの情報は脳の無意識の領域部分に蓄えられ、大人になるまでに「危機に関するデータベース」が出来上がります。
ここに蓄えられたシチュエーションは大人になってからも苦手だったり、行動にブレーキをかけたりします。これは無意識の領域なのでのちのち意識的に変えることは難しいことです。
狩りの時代は、敵や獰猛な動物に殺される危険があったり、危険な場所に近づかないためなど生命を守るために行動のブレーキをかける情報は必要だったわけですが、現代社会では生命に関わるわけではない「親の躾」までが行動の制限になってしまってます。
ただし、生命に関わる危険に関しては「駄目」を使用したほうが良い場合もあります。その際は理由もきちんと伝えましょう。
「三尺の童子を排す」という言葉があります。自分の子供であっても、人格は「あなた」ではないのです。