最近では共働きの増加により、昔家にいた母親が働きにでるというケースが増えてきていて、精神的にストレスを抱えやすくなっています。そしてそれが知らない間に子育てに深く影響している事があります。
子育てに関するあらゆる書物や持論が展開されていますが、全てを取り入れていると何がよくて何がいけない事なのかがわからなくなってきます。でもどんな時にも大事なのはその子にどういう大人になって欲しいのかを見据える事だと思います。
目先だけの可愛さで甘えさせ過ぎたり助け過ぎたりではなく、『小さいから出来ない』のではなく『小さいけどやらせてみよう』と構える事が大事だと筆者は思います。
そして筆者がよく目にするシチュエーションを一つご紹介したいと思います。
小さなこどもは頭や胴の割に手足が短いものでバランスを崩しよく転ぶものです。
その時に大けがならともかく、少し転んだだけで駆け寄り抱き抱える母親。
筆者はそこに少し違うと思うのです。少し転んだくらいの泣きであれば痛いから泣いているのではなく単純に転んだ事にビックリしたから泣いているのです。その後に痛みが押し寄せてきて痛くて泣くのはその後です。
ここで筆者が思う重要な事は自分の力で立ち上がる意識を持たせてあげる事。
現に筆者が幼稚園で見た光景として、転んでしまい泣くわけでもなく母親がきてくれるまでその場で転んだまま母親を黙って見ている子がいました。母親はママ友との話に夢中でこどもが転んだ事に気づいていません。起こしてくれるまで待っているのです。
立てるんです。こどもは立ち方を知っているんです。なのに小さな時から要らない手をかけてそれが当たり前になっているこどもはひたすら成長できずに求め続ける。それをいくつになっても手がかかると母親が誤解してしまうのです。
なら転んで泣いているこどもを見てるだけなんてなぜそこまで突き放せるの?
いえいえ、違うのです。その後に母親としての重要な役割があるのです。まず転んだ事に対してなかった事にせず、転んだという事を認識させます。
→例『あらあら、転んじゃったね。』
それから転んだ事によって生じた問題をどう対処するのかを考えさせます。
この場合、転んでしまったから起き上がれないと。
→例『大丈夫?立ち上がれる?』『大丈夫?立って転んで怪我したところをよく見せて。』
その後にこどもの気持ちに親身に同調してあげることが一番重要なのです。
→例『うわ~、痛そうー!こんなになってるよ!痛くない?』
その後に母親として甘えさせてあげる事が一番大事なのです。
→例『えっ?痛くないのー?こんなになってるのに?凄いね!もうお兄ちゃん(お姉ちゃん)だねー!よしよし。ママ、ビックリしちゃったー!』
『痛かったねー!だってこんなになってるんだもん、そりゃ痛いよ。でも泣かなかった(すぐ泣くのをやめた)のは凄いね!.』
相当、大きな怪我をした時にはなかなか当てはまりにくものなのですが、自分の力で立つ事に慣れているこどもはこのようにすんなりうまく流れていきます。
ただ、母親が見守るべきところに手をかけていると、自分でできる子との差をどこかで思い知る事になると思います。そしてウチの子は手がかかると誤解が生じるのです。
そして今から実践しても、今まで手をかけ過ぎていたなら相当の根気がいります。
こどもは泣いて、すねて、母親の気持ちに駆け引きをしかけてきます。
そこで根気負けしてしまい結局は元のこどもの顔色を伺う親にだんだんなってしまいます。
人生に置き換えても同じ事が言えると思います。
何かにぶち当たり躓いたり、転んだりした時にその時の現状をしっかり受け止め、ならどうもがこうか考え行動に移し、立ち上がる。そしてゆっくりと前へ進んでいく。
こどもを助けてあげたい!
どんな親でもおそらく抱いている感情でしょう。
が、助けが必要ないところでの助けは反って逆効果になりかねません。
時にはこどもを突き放して見守る事も親として大事な事なのではないでしょうか。