世の中には、素直にそのまま受け入れていれば明らかに幸せになれるのに、ちゃぶ台をひっくり返すかのごとく、なぜかその状況をくつがえしてわざわざ不幸へ突入していくというタイプの人がいます。
彼女たちは一様に言います。「幸せになるのが怖い」。しかし、幸せになることを怖がり到来する幸せをちゃぶ台返ししていて、一体いつ幸せになれるというのでしょうか。なぜそんな幸せになるのが怖いのか。
今回は幸せになるのが怖いという心理を探りつつ、幸せになるための処方箋もご紹介したいと思います。
自分は幸薄く、幸せには縁遠いと思っている人に、幸せになりそうな状況がやってきたとします。幸せに縁遠い人ですから、幸せになるということは未知のゾーンに足を踏み入れるようなものです。
人は知らないものに対して恐怖を持ちますよね。幸せが怖いということは、つまりは知らないものが怖いということです。知らないものが怖いという心理は、動物だけでなく人間にとっても、本能的なものです。
危険を含むかも知れない未知のものに恐怖を感じることによって危険を回避し、人間は生き延びてきました。幸せを知らない人は、未知への恐怖ゆえに、未知である幸せを回避する行動すらとります。
では、逆に既に何度も「自分は幸せだ―!」と感じた経験がある人が、これから幸せになろうとしているとします。すでに知っているものが到来するのですから怖くもなく、素直に幸せにとびこんでいくのではないでしょうか。
つまりは、幸せな人はどんどん幸せになり、幸せでない人は、依然として幸せでないところにとどまり続けてしまうという構図です。
自分が幸薄くて、幸せを知らないという理由だけで、幸せを怖がるのだとしたらもったいないことだと思いませんか。一度、幸せに飛び込んでみて、幸せを体験してみましょう。「そうでもなかった」という事態がきてもいいじゃありませんか。それもひとつの経験です。
もし、その幸せが壊れることになっても、幸せを知らないがゆえに幸せにチャレンジし続けないという状況に陥るよりはマシです。
女性が幸せを怖いと感じる心理のひとつに、到来しようとする幸せが、「自分の能力以上」もしくは「分不相応」な結果だととらえるところにもあります。
女性は、成功を自分の力だけの結果ではないと考える傾向が男性より強いのです。女性は、小さなころから女性であるという理由で周りをサポートするよう育てられてきた人が多いのではないでしょうか。
「お姉ちゃんなんだから下の子の面倒をみなさい」「女の子なのだから周りに優しくしなさい」。
常々誰かのサポート側に回ることを要請されて育ってきている女性たちは、いざ自分が成功した場合、サポートしてくれた人の存在を男性よりひしひしと感じる傾向にあるはずです。
心からすすんで周りのサポートをすることをしてきた女性ならまだしも、もし、「周りにやさしく」「下の子の面倒をみる」という要請を女性ゆえにされてきたことに不公平を感じていた女性はどうなるでしょうか。
その女性は、なにか恨みのようなものを意識的か、無意識的にか、持ちながら周りをサポートするでしょう。面倒を見た相手が、サポートする側の人達に、適正に感謝できていたのならそれほど問題にならないでしょう。
もしサポートされる側が「あたりまえ」という態度でいたとしたら…。そういうパターンの中で誰かをサポートしてきた女性は、成功した人がいい気になっている姿を見ると、なんともいえない気分になることでしょう。
いざそんな女性が成功者に回ったとしたら、周りからよく思われていないかもしれないと予測するのは当然のことかもしれません。
自分が成功者になったとき、自分がそういう目で成功者をみてきたゆえに自分に注がれる恨みの視点をひしひしと感じるのです。よって、手放しで喜んではいけないと自戒するという流れにはまりこんでしまうのです。
自分に能力もないのに成功した。自分には分不相応でもったいないような人が結婚を申し込んでくれた。
幸せ慣れしていない人にとっては、どれもざわざわすることかもしれませんが、そんな自分にとっては分不相応に思える幸せを、ざわざわせずに受け入れる言葉があります。それは「ラッキー」という言葉です。
「能力ないのに成功しちゃった!ラッキー。」「自分にもったいないくらいの人と結婚できる!ラッキー」。自分の能力・身分と結果に差があるゆえに幸せを怖がるなら、その差を「ラッキー」だけで埋めてみませんか。あなたは運がいいのです。
もし誰かから「あの子は実力もないのに手柄を立てた」とか「私の方がずっと美人なのに、なんであの子がいい男と結婚できるの?」と、とがめられているのを知ったとしても、「そうなの。私ラッキーだから。」で流してしまえばいいのです。
もし相手から直接とがめられたのなら、いちいち真に受けずに「私はラッキーだから。運だけで生きてきたようなものなんだ。」と流せばいいのです。
相手の「あんたは実力がない」という意見を否定するでもなく、自分の幸せを自慢するでもない「ラッキー」という言い草なら、女同士のかどもたたないでしょう。
陰で言われているのを知ったとしても、それもまた心の中で、「私ラッキーだし!」と流しておけばいいのです。
幸せ恐怖症の人は、幼いころ、こんな風に言われた経験があったのかもしれません。「実力もないのに、いい気になるな」「努力もしないでそんなにうまくいくわけない。そのうち痛い目に遭うぞ」。
もし、信用している人からこんな言葉を投げかけられたら、傷付きながらも素直に信じてしまうのも無理はありません。
しかし、そんな言葉を投げかけた人達は、幸せになろうとしている女性が、つかみかけている幸せを手放そうとするくらいこれらの言葉に影響を受けていることをわかっているでしょうか。答えはノーです。多分、その場その場で出てくる発言にすぎません。
なのに、その場限りだったはずの言葉があなたの将来にわたっての呪いとなっているわけです。つまらない呪いのせいで、幸せを手放そうとしているなんてばかばかしいと思いませんか。
あなたは自分に実力がないことや努力が足りないことを責め、そんな自分が幸せになるべきではないと思い込んでいるのでしょう。
大丈夫です。先の「ラッキー」を思い出して自分に投げかけてみて下さい。「実力がないのに幸せ!私ラッキー!」「努力してないのにうまくいった。ラッキー!」。
例えば神社仏閣に参拝にいったとき、自分に都合のよい願い事していたりしませんか。そんなシチュエーションでなら都合のよいお願い事ができるのに、いざ自分の身に幸せがやってきたら、「怖い」だなんて、神様も「どっちやねん」とあきれてしまいますよ。
ですので、幸せになる自分にブレーキをかけようとしているとき、「自分はただたんにラッキーな人なのだ」と考えるようにしましょう。そうやってぶつぶつと私はラッキーな人、と言って、素直に幸せを受け止めているうちに、「まてよ?」と思いなおすときが来ます。
「あれ、ラッキーで済ませてるけど、私、ほんとは結構頑張ってるよな。」素直に幸せを受け取っていたら、素直に自分のことも受け止められるようになります。そうやって、幸せを受け取る準備を進めていきましょう。
さらに幸せが怖いという心理から脱却する方法を探ってみましょう。
辛い目にあっているときは、辛い思い出が芋づる式に思い出され、楽しい時はたのしい思い出が芋づる式に思い出されます。人間の脳はそんな風にできています。「幸せになるのが怖い」と思っている人、「今」それほど幸せでもないってことですね。
では、今日、うれしいこと楽しいことよかったこと、とりあえず3つ挙げてみてください。「飼っている犬が元気」「同僚からチョコをもらった」「いい天気だった」etc.。それほど幸せでもないと思っている今でも、数え上げて見れば、まあまあよかったことがでてきます。
こうして楽しいことを数えて脳を楽しい方に傾けるクセをつけていると、あなたが想定する不幸に陥った時にも意外といいこと見つけられそうな気がしませんか。
天気だっていいことにカウントするのですよ。1年の半分は晴れです。これからの人生で晴れている日がなくなるなんてことあると思いますか。
同僚にチョコをもらってうれしいなら、こちらから同僚にチョコをあげてもうれしくはないですか。誰かを喜ばせることにも人は喜びを感じるものです。
幸せはどこからやってくるのでしょう。答えは、「幸せを感じる人がいるかどうか」です。「自分は幸せだ」と思っている人の心の中に幸せが発生するのです。
先に幸せがあって、人が幸せを感じるのではなく、幸せを感じる人がいてはじめて幸せが存在するというわけです。
さらに、幸せは、逆説的な性質を持っています。それは、「幸せは、追えば追うほど遠くに行ってしまう」という性質です。
童話の「幸せの青い鳥」が示すように、青い鳥を追い求めている間中見つからなくて、疲れ果てて家に帰ると、最初から青い鳥が家にいたことを知るのです。今、幸せを感じることができていますか。
幸せになることが怖いと感じているのなら、少なくとも今幸せではないということになりますよね。前述の通り、幸せは、幸せと感じている人のところに存在します。
今、幸せの感受性がない人は、幸せらしきものが到来したときに、「幸せである」と感じることができないかもしれません。そして、幸せは追えば追うほど逃げていきます。
つまり、「今」幸せを感じることができるかどうか。これが幸せを怖いと感じることへの処方箋にほかならないのです。
私たちはそもそも幸せというものの本質をよく知らないのに、幸せになることを願い、一方で幸せになることを恐れているのかもしれませんよね。今、幸せが怖いと感じているのなら、幸せが近くにあると感じているからこそなのでしょう。
いつも、幸せが怖いゆえ幸せを遠ざけていたのならば、今度こそがっちりつかんで、もういいやというくらい幸せを感じまくってみませんか。