ネガティブ女子は自分を変えたがっています。しかし、持ち前のネガティブさが足をひっぱり、前に進むことができません。
ならばせめてネガティブなことで他人に迷惑をかけないようにしたいとしても、なにからどうしたらいいのかわからないネガティブ女子もいることでしょう。
今回は、会話のなかでネガティブ女子が多用するD言葉と被害者意識に重点を置いてネガティブ女子からの脱出を考えてみたいと思います。
ネガティブ女子が発する言葉で代表的なものにD言葉があります。それは「でも」「だって」「どうせ」など、子音にDのつく言葉たちです。まずは、ネガティブ女子の伝家の宝刀「でも」を、よく使われるシチュエーションで見てみましょう。
ネガティブ女子に、悩みごとがあって誰かに悩みを相談しているとします。
「それなら、こうしてみたら」
「でも、そんなこと言っても○○だし」
「じゃあ、こういうのはどう」
「でも、○○さんがそんなこと反対するだろうし」
「○○さんのことは気にしなくてもいいんじゃないかな」
「でも、…」
知らず知らずにこういう会話の形式を繰り返していたりしませんか。
「なんでそんな失敗したの!?」
「だって、○○で△△で…」
「だって」が始まった途端、「だって」を使う人間の正当性主張の時間になっています。「だって」という言葉には「さあさあこれからいかに私が正しいか発表しますよ。
せいぜいあんたの時間を提供して聞きたまえ」というニュアンスがあると言ってもいいでしょう。
人がネガティブ女子の失敗をとがめたとき、聞きたいのは失敗の原因であり、これからどうやって失敗をなくすかであって、正当性を聞きたいわけではないはずです。
なにかとがめられるたびに「だって」を発動していると、ホントに自分に正当性があっても聞きいれてもらえなくなります。ふだんは、「だって」を使うのはぐっと我慢して、明らかに自分が正しいと思えるときにだけ「だって」をとっておきましょう。
「どうせ私がやってもうまくいかないし」
いい大人がすねている場合ではありません。「どうせ」なんて言っている暇があったら、具体的に何ができるのか考えて見ましょう。
どんなに小さなことでもチャレンジできることはたくさんあるはずです。それらに手を付ける前から「どうせ」などと言って自分の可能性を狭めるには人生の時間はあまりにも短すぎます。
例えば、自分をブサイクだと思っている女性が二人いるとします。ひとりはノーマルな女性。もうひとりはネガティブ女子です。それぞれのコメントは以下のとおり。
「私ブサイクなんです!」
「どうせ私ブサイクだし」
「どうせ」がつくと大分ニュアンスが変わってくると思いませんか。前者は相手にも心を開いている感じですが、後者はひねくれて閉ざしてしまっています。なんなら、世の中に恨みを持っているのでしょう。
自分の殻に閉じこもっているのに、世間をうらんでいるようなめんどくさいヤツと思われても仕方がありません。こんな発言をするということは、おそらく過去にブサイクがらみで誰かに傷つけられたのでしょう。
しかし、実際にネガティブ女子を傷つけたわけでなない人にとって、ネガティブ女子のそんな気持ちは知ったこっちゃないことです。そもそもブサイクとすら思っていない可能性もおおありです。
ネガティブ女子が発動するD言葉は、自分も相手もがんじがらめにする呪いの言葉のようなものです。
そして、恐ろしいことにD言葉を使うネガティブ女子は自分がD言葉を使っていることに気づいていません。相手どころか自分をも呪う言葉を吐いていることに無自覚なのです。
処方箋としては、「ともかく、D言葉を使わない」。これにつきます。まず最初の最初は、「でもだってどうせ」を使っていることに自分自身が気づくことです。
あまりにも自分が「でもだってどうせ」を量産していることに驚愕することと思います。
では、どうやって普段使い慣れたD言葉から脱却できるのでしょうか。
相手の意見に、まず「でも」から返してくるようなネガティブ女子は、誰かに悩みを相談したところで、決して解決はしません。
自分は困っている。だから自分は犠牲者であり被害者なのだという立場で、悩みを相談しているつもりなわけです。本人は無意識ですが、実は相談相手の意見を否定してやろうという気満々なのです。
なので、相談相手がどんなによいアドバイスをしようとも、そのアドバイスを受け取る気などありません。
例えば、「仕事を辞めたい」という相談を誰かにしたところで、相手のよかれというアドバイスはかえって、仕事が辞められない理由として仕事をやめない方向に補強される材料となります。
あっさりと相手から「じゃ、辞めれば」と言われたところで、いかに自分は仕事が辞められないのかということを力説するのがネガティブ女子の特徴です。
ポジティブなタイプなら、仕事を辞めたいくらいイヤな思いをしているのなら、改善策を考え、もしくはすぱっと辞める段取りをたて行動に移しているはずです。
ネガティブ女子が気を付けるべきことは、例えばだれかに悩みごとを相談したときにその相手をサンドバッグ代わりにしてしまっていないかということです。
自分は犠牲者だ、被害者だと言う餌で他人をおびきよせてぼこぼこに殴りつけるのは卑怯なやり方だということを自覚しましょう。
例えば以下のような思いをネガティブ女子が抱えているとします。「他人に不快な思いをさせてしまったらどうしよう」
一見、他人のことを思いやる優しい気持ちのように見えるかもしれません。しかし、ネガティブ女子のこんな思いを正確に翻訳すると以下のようになります。「他人に不快な思いをさせて『自分が嫌われて』しまったらどうしよう」
さらに、正確に翻訳します。「他人に不快な思いをさせて自分が嫌われてしまって自分が傷つくのがどうしてもコワイ。どうしよう。」
つまり他人のことを考えているように見せかけて本質は自分のことしか考えてないのです。むしろ、ネガティブ女子が何よりもコワイのは、「他人に不快な思いをさせる」ことより「自分が傷つくこと」なのです。
ネガティブなことは悪いことではありません。未来に起こるかもしれない、悪い出来事を予測できる人は、それに備えることができます。ネガティブ女子への処方箋は、究極的には以下の2点に集約されるかもしれません。
ネガティブでも別にいいのです。してはならないのは、ネガティブさゆえに発生する、自分は被害者という餌を他人にちらつかせ、他人をひきずりおろそうとすることです。
ネガティブな自分がイヤでたまらない。ネガティブな自分をどうにかしたい。ネガティブ女子はいったいネガティブの何をおそれているのでしょうか。先にも言った通り、ネガティブはそう悪いことではありません。
どんなにポジティブな人でも、ときにはネガティブになることもあります。大切なことはそんな自分を受け入れて、他人のことを尊重することです。ネガティブをありのまま受け入れる、それがほんとうの脱ネガティブだと思いませんか。