手抜きか完璧か…主婦の仕事に「やりがい」は必要?

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今主婦をしている方は自分の仕事に「やりがい」を感じているでしょうか?この問いには感じているという方もいれば、感じていないという方もいるでしょう、その一方で主婦の仕事に「やりがい」があった方がいいのかと悩んでいる方もいるかもしれません。

では実際に主婦の方にとって「やりがい」というのは必要なのでしょうか?

そもそも「やりがい」とは

「やりがい」とは簡単に言えばそれをするだけの価値がある行動ということです。例えば普段仕事をしている方は給料をもらって仕事をしているので、それに「やりがい」を感じているということにもなります。

しかしお分かり通りに「それをするだけの価値がある行動」というのは人によっても変わってきます。自分ではそう思っていても、他人から見れば何の価値もない愚かな行動、という風に見えることもあるのです。

だからこそ主婦として働いている方も、「やりがい」があるかないか分かれることになるのでしょう。それは性格はもちろんのこと、一緒に住んでいる夫を始めとした家族がどういう存在であるかも左右されてきます。

なので何が「やりがい」のあるものなのかどうかという問いには答えることができないということになります。

主婦の「やりがい」

実際に主婦の方が家事という「仕事」をするのは、主婦ではない人間から見ると非常に軽く見られがちです。なので夫や他の家族それで論争になって、離婚したり、精神的に病んでしまうという方も出てくるのでしょう。

おまけに家事をしても家事手伝いを代行してくれる人でない限り給料は出ません。そうしたお金という分かりやすい目的もないので、それゆえに「やりがい」というものを感じずに適当に家事をこなすという主婦の方もいるでしょう。

その一方で、自分の主婦としての仕事にも「やりがい」という価値を見出すために、一生懸命完璧に家事をこなすという方もいるでしょう。もしくは家族の方も満足して、それで自分のやっていることに価値を見出すことができるという方もいるでしょう。

「やりがい」という名の幻想

もし主婦である自分が何をしなくても、家事は勝手に別の誰かがやってくれて、子供も面倒を見てくれる。そうだったらほとんど自分の時間を持つことができるので、主婦として生活していくのは相当楽になるでしょう。

そんな楽をして、という方もいるかもしれませんが、実際に仕事をする際にも何もしないでお金をもらえるという選択があったら、大半の方がそちらを選択するでしょう?もちろん現実ではそのような甘い話はないのですが。

実際にそのような選択肢があったら、それを選ぶのは間違いでも何でもありません。それは主婦の方だって毎日家事を見返りなしに続けていたら疲れてしまいます。楽しようと考えたって構わないのです。

ここで結論を言いますが主婦の仕事にやりがいを感じる必要はないでしょう。手抜きをしてもやるべきことをして相手に満足される主婦と、完璧に家事をしてそれで満足される主婦、どちらも問題はないことです。

そもそも「やりがい」という言葉自体が非常に曖昧な存在であります。実際に仕事をしている方は分かると思いますが、問題のある企業はこの言葉を盾にして、自分達の仕事に対しての行為を正当化するといったことをしています。

「やりがい」に固執すると、そのうち本当に大事なことが見えないようになってしまいます。なので主婦の方も「やりがい」を求めるよりは、本当にやるべきことと大事なこと、そちらを考えて求めた方がいいのです。

もし求めるのなら、自分、そして子供が夫が家族の幸せ、「やりがい」なんかよりもそちらを求めた方がよっぽど満足のいくものになります。

それでも主婦が「やりがい」を求めるのなら

もし主婦の方が普段の家事をしていて、それでも何か満たされないのなら、それは「やりがい」が欲しいというよりは、今の主婦としての自分の生活に満足していないということがあるのでしょう。

なら、子供も大きくなってある程度時間が空いているのならバイトやパートといった仕事をしてみるのもいいでしょう。そうすれば「やりがい」とは違いますが、生活に一定のスパイスを加えることができるのですから。

バイトやパートでなくとも、別の何かに挑戦をしてみるのも悪いことではありません。とにかく主婦の仕事に「やりがい」を求めるよりは、別の何かに自分の意識を向けさせてみるのがいいということです。

必要ないとは書きましたが、最終的に「やりがい」というものに価値を見出すかどうかは主婦の方本人次第です。世の中には色々な選択肢があります。主婦の方も毎日家事で変わり映えがないように見えても、このようにそれに「やりがい」を求めるかどうかという選択肢もあるのです。
でも選択するのなら「やりがい」という曖昧な言葉よりも本当に自分にとって意味のあるものかどうか判断してからにしましょう。少なくとも言葉だけに惑わされて納得したつもりの生き方はしないようにしてください。

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