生きている限り、不安から解放されるということはないのかもしれませんね。将来の不安への焦りから、恐怖にかられてやみくもに動いてしまいそうな自分はいませんか。ちょっと待って下さい。
不安にかられて動くより、自信を持って動いた方がよい結果をつれてくるような気がしませんか。というわけで、今回は焦ってやみくもに動く前に、不安をどう扱ったらいいのか考えていくこととします。
不安を発端として行動を起こす時、あなたはどちらのパターンにあてはまりますか。
パターン1:不安→感情にのっとられる→行動
パターン2:不安→不安に向き合って頭で考える→行動
前者のパターンは、なぜか不安に思ったことを現実にひきよせます。例えば、彼が自分から離れて行きそうで不安→不安だから彼を束縛する→彼が束縛を嫌い自分のことを嫌になる→彼が離れていく。
もしくは、こんなパターンもあるかもしれませんね。子供が仲間はずれされたらどうしようと不安に思う→子供たちが遊んでいる公園に子供が仲間はずれにされないか毎日見張りに行く→大人の監視をうざったがる他の子が自分の子供を含めて遊ぶことを嫌がって離れていく→仲間はずれ。
忙しくしているときは、さほど気にならないのに、ふとしたエアーポケットのような時間に不安が襲ってくるなんて人はいませんか。例えば寝る前の瞬間。例えばお風呂に入ってぼーっとしている瞬間。
そんなエアーポケットの瞬間に不安が襲ってくるなら、ふだん自分のことをきちんと省みていないというサインかもしれません。もうひとりのあなたが、自分のことをきちんと考えて大切にしてあげてほしいということを伝えようとしているのです。
ふとした瞬間に不安になるのなら、きちんと時間を作ってオフの日にでも、自分の心の声に耳を傾けてあげて下さい。
あなたは、本当は、どうしたいのですか、なにをしたくないのですか。なにが好きですか、嫌いですか。これらの自分の声について、日頃から真摯に取り扱ってあげてほしいのです。
具体的なタスクに読み換える
時間を作って不安に向き合ったら、それを紙に書き出してみます。具体的に書いてみたら、次は「ではどうしたらいいのか。どうしたいのか」という風に読み換えていきましょう。
「貯金がないから不安→どうしたら貯金が増えるか」
「独身で結婚していないから将来不安→どうしたら結婚に至るのか」
「老後が不安→老後も楽しく暮らすには何をしたらいいのか」
漠然とした不安でも、具体的な行動におとしこんだらあとは行動すればいいわけです。
では、ここで将来を不安に思っている人に質問をしてみたいと思います。
お給料をもらっている人なら「お給料に対してあと5万円増えたらいいなあ」などと思ったりします。「あと5万円あれば、幸せになれるのに」。しかし、実際に5万円増えるとまたさらなる5万円を望んだりするんですよね。
では、今、使い切れないくらいのお金をもっていたとしたら何をしますか。だいたい、将来の不安は「お金」と関連しています。人が安心して暮らしていくには「お金」が必要だと思われているからです。
そこで、100億円持っていたらどうする?という質問を自分にしてみるのです。100億円は、一人では使えないくらいの額の例えです。一人では使い切れないくらいのお金を持っているならどうでしょう。使い切れないくらいのお金ですので将来なくなることはありません。
つまり、お金の不安から解放されるのです。海外旅行がしたい。豪邸を買いたい。いいでしょう。どんどんやってください。ではそれらの望みがすべてかなったとして、最終的にどうしたいですか。
最終的な望みはこんなことに集約されるのではないでしょうか。「家族とまったりしたい」「好きな人と一緒にゆっくり過ごしたい」「穏やかな気分で過ごしたい」。
つまりは、いくら今、お金について不安に思っていたとしても、ほんとうにやりたいことはお金には関係なかったりするということです。
家族とまったりしたい。好きな人と一緒にゆっくり過ごしたい…。不安を感じようがいまいが、今できますよね?
人は、目先のことについてしか不安に思いません。正確に言うと、「興味のあること」と言ってもいいかもしれません。
小学生は中学に入学したら一体どうなるんだろうと不安に思い、就職活動中の学生は就職できなかったらどうしようと不安に思い、適齢期でシングルのOLは一生独身で過ごすのだろうかと不安に思い、母親は自分の子は幸せな人生を送れるのだろうかと不安に思い…。
それぞれのステージにはそれなりの不安が用意されています。小学生が突然、自分の子供は幸せな人生を送れるのだろうかと不安に思うわけでもないですよね。とすると、あらたな不安が出てくるのは自分があらたなステージに進んだということの証になると言えます。
では質問をしてみましょう。「明日死ぬなら何をしますか」。あなたは明日死ぬのです。不安になっているなんて時間がもったいない。やりたいことをやりたいですよね。
大事な人に会いに行ったり、大好きなものを食べたり。大好きな映画を見たり。行きたい場所に行ってもいいですね。
将来を不安に思っていると、不安にそなえていろいろなものを我慢します。そして、明日死ぬならやりたいと願うこれらのことを我慢する傾向にあります。不安の種を消したら、やりたいことをやろう。しかし、残念ながら不安の種が消えることはありません。
今持っている不安が消えてあらたなステージに上ったら、あらたな不安がでてくるのは先に述べたとおりです。不安に思っていようが、思っていまいが、大事な人に会いに行ったり、大好きなものを食べたり。大好きな映画を見たり。行きたい場所に行けますよ。
それらのどうしてもやりたいことを実行していると、不安に感じる時間がもったいないと思えてきます。明日はなにをしよう。わくわくしてきます。そこに不安はありません。不安になったとき、自分に質問してみてください。「明日死ぬならなにをする?」
不安を感じている人は、今を生きていません。不安を感じる人の心は未来にあります。しかし、やりたいことをやる自分は今ここにしか存在できませんよ。「今」の自分が大事な人に会い、おいしいものを食べ…。
不安な気分を感じた時、大好きな誰かを思い浮かべてみてください。ほんわかしましたか。
次は、その人が笑顔になるにはどうしたらいいか考えて見て下さい。
花が大好きなあの人に、珍しい花を贈ろうか。そろそろ誕生日のあの人。仲間を誘ってサプライズパーティーをしよう。どんどん楽しくなってきませんか。
不安を感じている人の頭の中は自分のことでいっぱいです。未来に「自分が」苦しい思いをするのがいやなのです。例え、子供のことを不安に思っていたとしても。不安は子供のためではなく、「子供がつらいめにあって、それを見る自分が苦しいのがいやだ」ということだからです。頭は自分のことでいっぱいです。
子供のことを不安に思う時間を、明日、子供の好物でも作る算段をする時間にあてませんか。子供にとっては将来を疑われて不安に思われているより、自分のことを信頼してくれているお母さんがニコニコおいしいご飯を作ってくれる方がよっぽど明日への活力になるってものです。
不安は、ある意味、自分勝手で妄想がかった感情なのかもしれません。不安に全くならないとまではいかなくても、不安になったときに冷静につきあっていけるのならば私たちは人生で大事なもの見失わずに済むのかもしれませんね。